2010.08.12 Thursday
Behind the Door/ Open the Door
無責任に優しい言葉が、
モラルを低下させる。
悪いことは悪いと
キチンと言うべきだ。
悪いことをしているという
自負があるのならば、
批判される覚悟を持って、
誰かに相談するべきだ。
悪いことは悪い。
虐待や殺人は
絶対に許されない。
「私はママだけど、
育児は大変だし、
私ひとりの責任じゃないから、
子育てはテキトウでもいいんだ」
と、開き直っては絶対にいけない。
その通りだと思います。
私も同意見です。
もし、
開き直ることができるくらいの
曲がった強さを持つ友達がいたら、
私は厳しい言葉で彼女を諭します。
叱られる勇気をもって
現状を話してくれれば、
もちろんそれが理想です。
批判されるリスクを負って
自分の意見を言うこと、
その大切さを、私は身をもって
訴えているつもりです。
でも、
それは、勇気がいることです。
私自身、誠意ある賛同/反対意見を読みたいと思っても、
ところどころに挟まる暴力的な言葉を目にすることが怖くて
〆切原稿を終わらせるまでは、コメントを読むことができませんでした。
その恐怖にも近い感情を
胸に感じたからこそ、
勇気を出せずに
ひとりで悩んでいる方は、
たくさんいるんじゃないかって
今改めて、また感じています。
弱い人間を甘やかすな、
甘やかすことは社会のためにならない
という意見も、一理あるとは思います。
でも、
大人だけの問題ならまだしも、
なんの罪のない子供を巻き込んでしまう場合、
「サイテーや奴はサイテー」だと切り捨ててしまうのは
とてもキケンなことだと私は思うのです。
内心ヤバイと思いながらも、
もう誰にも本音を言えない状態になった時こそ、
キケンなんじゃないでしょうか?
もう、批判されるだけの心の余裕がまったくなく、
自分の中のモラルが崩壊しかけている時、
そういう時、人は、
批判されることが怖くて、黙ってしまうかも。
そのうち、
批判されること自体がメンドクサくなって、
ウソをついてしまうようになるかもしれない。
みんな元気で幸せにやっているよ、と。
心のSOSがウソへと変わり
ウソをつかれてしまえば、
周りはもう、ドアの向こうで起こっていることに気付けない。
どんなに助けたいと思っていても、ウソをつかれてしまえば、
ドアの向こうにはなかなか踏み込んでいけないのも事実です。
繰り返しますが、
誰かの助けが必要だと感じたら、
怖がらずに、誰かに、正直に相談してほしい。
サイテーな状態へと追い込まれてしまった人が、
サイテーだと頭ごなしに批判されることなく、
SOSをだせる世の中に、なって欲しい。
まずは自分が、周りにいる友達や家族が、
本音を正直に話してくれるような人でありたい。
それは「解決策」と呼べるような
ものではないかもしれない、でも、
ドアの中の問題を外の誰かに相談することが、
ドアの中で泣いている子供たちを、
救う糸口になるんじゃないかって、私は、思います。
「優しい言葉」は、
子供たちを救うために、
大人たちをドアの外へと誘い出す「飴」なのかもしれない。
でも、「飴」でもいいんじゃないかって、私は、思うんです。
想像力と優しさでできたその「飴」が、
子供たちはもちろん、
彼らのことだって救うことに繋がるかもしれないのだから……。
これは私の意見なので、
すべての人に賛同してもらおうなんて思っていません。
いろんな立場があり、いろんな思いがあり、
いろんな意見があって当然です。
私たちに「同じ」はありえない。
コメントにもありましたが、
そのことについて、
切り口は少し違いますが、ちょうど
先週の恋愛エッセイで書いたところでした。
「私たちはみんな同じだよ」というのも
また、キケンなことだと、私も改めて感じています。
今回、
もう一度この件に関して
記事を書かなくてはと
一番強く思わされたのが、
愛情を注いで、頑張って育児をしている中で、
「誰もが虐待をする母親と紙一重だ」と大雑把にくくられることは
母親として、同じ女性として、心外だ、という声でした。
そのような形で「みんな同じ」だと
ましては、「みんな彼女と同じ」だと
書いたつもりはまったくありません。
でも、今改めて読み返してみて、
そのような誤解を与えてしまうリスクを
十分に持った文章だったと感じました。
思うことを、一番伝えたい相手に
伝わるようにと思って書いた文章です。
でも、
私自身、息子への愛を疑われることほどに
心が傷つくことはありません。
だからこそ、
このような事件が起こるたびに
ステレオタイプが深まり、
シングルだから、若いから、
とそのような上辺の理由から
愛をもって頑張って育児をしているのに、
世間から、虐待を疑われるような目で見られることに
とても傷ついているお母さんたちがいるということを
もっと考慮してかくべきだった、と反省しています。
周りももっと関心を持つべきだ、
周りからのサポートが得られずに
困っている人がいる、
理解しよう、助けよう、
という私のメッセージが、
私の書き方ひとつで、
周りからの関心が”疑い”という形に変わり、
頑張っているお母さんたちへの
風当たりをより厳しいものにしかねない
リスクも、感じました。
私は息子を心の底から愛しています。
それが伝わっているという前提で、
育った環境、今いる環境が違えば
誰だって他人事ではないはずだ、
と書いた「自分のリスク」に
他のお母さんたちを
巻き込んでしまったこと、
ほんとうにごめんなさい。
周りのサポートが少ない環境の中でも、
頑張って育児をしている素晴らしい
お母さんたちはたくさんいます。
でも、そういう強さを持った
お母さんだけではないのも、また、事実です。
いろんな状況にいるすべての方を
傷つけることなく言葉を発することは
ほんとうに難しく、不可能のようにも感じますが、
今、誰よりも考えるべきは、
ドアの向こうで泣いている
子供たちのことだと思います。
前回、前々回の記事は、
心が弱ってしまっているお母さんに
SOSを出して、という願いを込めて
書いた文章です。
誰もがダークサイドに
足を引っ張られる可能性がある。
だから、自分をそんなに責めずに、
誰かに相談して、と。
そこで意味するダークサイドとは、
陽に対して存在する陰の部分です。
それは母親、女性だけに限らず、
人間だれもが、精神状態を健康に保ち、
元気にやっていると思っていても
プツッと糸がきれるように、フッと
心を病んでしまうことは、あると思うんです。
それをきっかけとして、
誰もが虐待や殺人をするかもしれない、
とは思っていません。
中には自殺という形を選んでしまう人も、
そして、自分の力でそこから立ち上がる
ことができる人も、もちろんたくさんいます。
それもまた、人それぞれです。
ただ、
そこから取り返しがつかないところまで
転がり落ちてしまう人は実際にいて、
そうなってしまいそうな危機感があっても
SOSを出しにくいのが今の状況
なんじゃないかと、私は思ったのです。
子供を救いたいと本当に思うのならば、
今、手を差し伸べるべきは、
そうなってしまいそうなところにいる
お母さんたちなんじゃないか、と。
生まれた環境、育った環境に、
まったく同じというのもなければ、
人間に、
まったく同じは、ありえません。
結局、
自分の人生は、自分で責任を持って、
自分の足で歩いてゆくしかないのです。
でも、だからこそ、
他人と「分かり合いたい」と思う気持ちから
違う立場の他人の気持ちを想像しようとすることが、
愛であり、優しさだと、私は、思うのです。
それなしに、自分の力だけで
生きることができるほど、人は強くない……。
そして、「強さ」にもまた、
個人差があることを、私たちは忘れてはいけないと思うのです。
記事を読んだと電話をくれた友達と、一緒に泣いた。
どうして?この事件が、あまりにも残酷すぎるからです。
私の記事がどうこうという次元を超えて、
この悲惨な事件が、私たちにいろんなことを考えさせるのです。
そして、その時に、
「同じように」胸を痛めて
「どうすればこのような事件を
食い止めることができるんだろう」
と、「一緒に」泣いてくれる人がいたことに
私が救われたのも事実です。
「胸を痛めているのはひとりじゃない。
ひとりじゃないから
何かできるかもしれない」
と思えることは、
気休め程度にしかならなくても、
事実として人の心を癒す力につながることもある。
この問題について話し合った友達の中には
母親ではない人たちも、たくさんいます。
子供がいない人には
何も言う権利がないなんて、
私はまったく思っていません。
母親になる半年前、
妊娠する一年半前でも
私は同じような記事を
書いたと思います。
そして、
なんといっても、
私だって母親になって、
まだたったの半年です。
その中で、
数ある残酷な事件の中で
この事件を取り上げたのは、
育児の大変さを知ったというのも
もちろんありますが、それよりも、
むしろ、
息子が、可愛くて仕方がないからです。
息子と同じ、天使のような赤ちゃんたちが
今こうしている間にも犠牲になっていると思うと、
いたたまれなかった。
感情的?そうかもしれません。
でも、どうしても今、書きたい、書かなければという
衝動にかられました。
書くべきでなかったと
言われてしまえばそれまでですが、
それが私の正直な気持ちです。
批判や反対意見もありましたが、記事を読んで
「育児中の友達に久しぶりに電話をかけてみたら
連絡が嬉しかったという文章が二度入ったメールをもらった」
「子供の父親として、妻の気持ちになってもう
一度育児について考えようと思った」
「他人事ではなく自分も真剣に考えてみようと思った」などの
コメント、メールをたくさん頂いたのも事実です。
批判や反対意見の声も受け止めています。
理解したい、という気持ちから、
「みんな同じ」だというニュンアンスを
含めて書いてしまった一部の文章に関しては、
反省もしています。
でも、
実際の行動へとつながった声があったという点では、
自分では、意味のあることをしたと思っています。
一本の電話や、家族内での話し合い。
それらは、小さなステップですが、
意味のあることだと思うからです。
そして、
自分の想い/経験をさらけだすようにして、
書くのに勇気がいったであろう
コメントを書いて下さった方、
私が心を痛めているんじゃないかと
優しい声をかけて下さった方、
私の書いた文章が持つリスクを指摘して下さった方に、
お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
いろんな立場からの
ご意見、ご感想、胸に受け止めました。
私以外でも、たくさんの方が、
私の記事だけでなくコメントを読むことで、
よりいろんな立場から、この事件について
考えることができたんじゃないかと思います。
その上で、改めて、願わずにはいられません。
『ドアの向こうで泣いている子供たちを、
一人でも多く、私たちが、救うことができますように』。
一緒に泣いた友達のひとりが、
LiLyは向き合ってブログを書いて、
私はそのあいだに連絡先をまとめるから、
とブログを立ちあげてくれました。
リンク、コピペなどで、広めて頂ければ嬉しいです。
これじゃ足りない。
そう思います。
でも、まずは、
今、できるところから……。
『Open the Door』
↓↓↓↓↓↓↓↓
**********************************
●● 子育てに悩みを抱えているママへ ●●
子育てに限界を感じたり、精神的に余裕が無くなる人は、
決してあなただけではありません。
引け目など感じず、助けを求める勇気を持って。
・「オレンジリボン運動公式サイト」
http://www.orangeribbon.jp/window/win.html
・「全国 子育て・虐待防止ホットライン」
0570−011−077
(ナビダイアル・10〜17時 祝休)
●●虐待では?と思われる、
子供や家庭を知った方へ●●
あなたの一本の電話が、
扉の向こうで苦しむ
子供たちの心を、命を、救うことがあります。
・「全国 児童相談所 一覧」
http://www.mhlw.go.jp/support/jidousoudan/index.html
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv30/index.html
●●虐待を受けていると感じている子供たちへ●●
�.劵潺弔麓蕕襪茵� �¬樵阿聾世錣覆�てもいい。
��どんなことでも一緒に考えるよ。
�ぅぅ笋砲覆辰燭蘋擇辰討發いぁ�
4つの約束からなる、子供のための電話があります。
怖がらず、まずは話してみて。
<18歳までの子供がかける電話>
・「チャイルドライン」
http://www.childline.or.jp/
※
ここでは子供たちからの電話が増える中、
企業などからの寄付は減っていて
子供たちの命をつなぐための電話代が
不足しているそうです。
賛同された大人の方は、是非お力を。。
↓↓
http://www.childline.or.jp/supporter/news.html#000678
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モラルを低下させる。
悪いことは悪いと
キチンと言うべきだ。
悪いことをしているという
自負があるのならば、
批判される覚悟を持って、
誰かに相談するべきだ。
悪いことは悪い。
虐待や殺人は
絶対に許されない。
「私はママだけど、
育児は大変だし、
私ひとりの責任じゃないから、
子育てはテキトウでもいいんだ」
と、開き直っては絶対にいけない。
その通りだと思います。
私も同意見です。
もし、
開き直ることができるくらいの
曲がった強さを持つ友達がいたら、
私は厳しい言葉で彼女を諭します。
叱られる勇気をもって
現状を話してくれれば、
もちろんそれが理想です。
批判されるリスクを負って
自分の意見を言うこと、
その大切さを、私は身をもって
訴えているつもりです。
でも、
それは、勇気がいることです。
私自身、誠意ある賛同/反対意見を読みたいと思っても、
ところどころに挟まる暴力的な言葉を目にすることが怖くて
〆切原稿を終わらせるまでは、コメントを読むことができませんでした。
その恐怖にも近い感情を
胸に感じたからこそ、
勇気を出せずに
ひとりで悩んでいる方は、
たくさんいるんじゃないかって
今改めて、また感じています。
弱い人間を甘やかすな、
甘やかすことは社会のためにならない
という意見も、一理あるとは思います。
でも、
大人だけの問題ならまだしも、
なんの罪のない子供を巻き込んでしまう場合、
「サイテーや奴はサイテー」だと切り捨ててしまうのは
とてもキケンなことだと私は思うのです。
内心ヤバイと思いながらも、
もう誰にも本音を言えない状態になった時こそ、
キケンなんじゃないでしょうか?
もう、批判されるだけの心の余裕がまったくなく、
自分の中のモラルが崩壊しかけている時、
そういう時、人は、
批判されることが怖くて、黙ってしまうかも。
そのうち、
批判されること自体がメンドクサくなって、
ウソをついてしまうようになるかもしれない。
みんな元気で幸せにやっているよ、と。
心のSOSがウソへと変わり
ウソをつかれてしまえば、
周りはもう、ドアの向こうで起こっていることに気付けない。
どんなに助けたいと思っていても、ウソをつかれてしまえば、
ドアの向こうにはなかなか踏み込んでいけないのも事実です。
繰り返しますが、
誰かの助けが必要だと感じたら、
怖がらずに、誰かに、正直に相談してほしい。
サイテーな状態へと追い込まれてしまった人が、
サイテーだと頭ごなしに批判されることなく、
SOSをだせる世の中に、なって欲しい。
まずは自分が、周りにいる友達や家族が、
本音を正直に話してくれるような人でありたい。
それは「解決策」と呼べるような
ものではないかもしれない、でも、
ドアの中の問題を外の誰かに相談することが、
ドアの中で泣いている子供たちを、
救う糸口になるんじゃないかって、私は、思います。
「優しい言葉」は、
子供たちを救うために、
大人たちをドアの外へと誘い出す「飴」なのかもしれない。
でも、「飴」でもいいんじゃないかって、私は、思うんです。
想像力と優しさでできたその「飴」が、
子供たちはもちろん、
彼らのことだって救うことに繋がるかもしれないのだから……。
これは私の意見なので、
すべての人に賛同してもらおうなんて思っていません。
いろんな立場があり、いろんな思いがあり、
いろんな意見があって当然です。
私たちに「同じ」はありえない。
コメントにもありましたが、
そのことについて、
切り口は少し違いますが、ちょうど
先週の恋愛エッセイで書いたところでした。
「私たちはみんな同じだよ」というのも
また、キケンなことだと、私も改めて感じています。
今回、
もう一度この件に関して
記事を書かなくてはと
一番強く思わされたのが、
愛情を注いで、頑張って育児をしている中で、
「誰もが虐待をする母親と紙一重だ」と大雑把にくくられることは
母親として、同じ女性として、心外だ、という声でした。
そのような形で「みんな同じ」だと
ましては、「みんな彼女と同じ」だと
書いたつもりはまったくありません。
でも、今改めて読み返してみて、
そのような誤解を与えてしまうリスクを
十分に持った文章だったと感じました。
思うことを、一番伝えたい相手に
伝わるようにと思って書いた文章です。
でも、
私自身、息子への愛を疑われることほどに
心が傷つくことはありません。
だからこそ、
このような事件が起こるたびに
ステレオタイプが深まり、
シングルだから、若いから、
とそのような上辺の理由から
愛をもって頑張って育児をしているのに、
世間から、虐待を疑われるような目で見られることに
とても傷ついているお母さんたちがいるということを
もっと考慮してかくべきだった、と反省しています。
周りももっと関心を持つべきだ、
周りからのサポートが得られずに
困っている人がいる、
理解しよう、助けよう、
という私のメッセージが、
私の書き方ひとつで、
周りからの関心が”疑い”という形に変わり、
頑張っているお母さんたちへの
風当たりをより厳しいものにしかねない
リスクも、感じました。
私は息子を心の底から愛しています。
それが伝わっているという前提で、
育った環境、今いる環境が違えば
誰だって他人事ではないはずだ、
と書いた「自分のリスク」に
他のお母さんたちを
巻き込んでしまったこと、
ほんとうにごめんなさい。
周りのサポートが少ない環境の中でも、
頑張って育児をしている素晴らしい
お母さんたちはたくさんいます。
でも、そういう強さを持った
お母さんだけではないのも、また、事実です。
いろんな状況にいるすべての方を
傷つけることなく言葉を発することは
ほんとうに難しく、不可能のようにも感じますが、
今、誰よりも考えるべきは、
ドアの向こうで泣いている
子供たちのことだと思います。
前回、前々回の記事は、
心が弱ってしまっているお母さんに
SOSを出して、という願いを込めて
書いた文章です。
誰もがダークサイドに
足を引っ張られる可能性がある。
だから、自分をそんなに責めずに、
誰かに相談して、と。
そこで意味するダークサイドとは、
陽に対して存在する陰の部分です。
それは母親、女性だけに限らず、
人間だれもが、精神状態を健康に保ち、
元気にやっていると思っていても
プツッと糸がきれるように、フッと
心を病んでしまうことは、あると思うんです。
それをきっかけとして、
誰もが虐待や殺人をするかもしれない、
とは思っていません。
中には自殺という形を選んでしまう人も、
そして、自分の力でそこから立ち上がる
ことができる人も、もちろんたくさんいます。
それもまた、人それぞれです。
ただ、
そこから取り返しがつかないところまで
転がり落ちてしまう人は実際にいて、
そうなってしまいそうな危機感があっても
SOSを出しにくいのが今の状況
なんじゃないかと、私は思ったのです。
子供を救いたいと本当に思うのならば、
今、手を差し伸べるべきは、
そうなってしまいそうなところにいる
お母さんたちなんじゃないか、と。
生まれた環境、育った環境に、
まったく同じというのもなければ、
人間に、
まったく同じは、ありえません。
結局、
自分の人生は、自分で責任を持って、
自分の足で歩いてゆくしかないのです。
でも、だからこそ、
他人と「分かり合いたい」と思う気持ちから
違う立場の他人の気持ちを想像しようとすることが、
愛であり、優しさだと、私は、思うのです。
それなしに、自分の力だけで
生きることができるほど、人は強くない……。
そして、「強さ」にもまた、
個人差があることを、私たちは忘れてはいけないと思うのです。
記事を読んだと電話をくれた友達と、一緒に泣いた。
どうして?この事件が、あまりにも残酷すぎるからです。
私の記事がどうこうという次元を超えて、
この悲惨な事件が、私たちにいろんなことを考えさせるのです。
そして、その時に、
「同じように」胸を痛めて
「どうすればこのような事件を
食い止めることができるんだろう」
と、「一緒に」泣いてくれる人がいたことに
私が救われたのも事実です。
「胸を痛めているのはひとりじゃない。
ひとりじゃないから
何かできるかもしれない」
と思えることは、
気休め程度にしかならなくても、
事実として人の心を癒す力につながることもある。
この問題について話し合った友達の中には
母親ではない人たちも、たくさんいます。
子供がいない人には
何も言う権利がないなんて、
私はまったく思っていません。
母親になる半年前、
妊娠する一年半前でも
私は同じような記事を
書いたと思います。
そして、
なんといっても、
私だって母親になって、
まだたったの半年です。
その中で、
数ある残酷な事件の中で
この事件を取り上げたのは、
育児の大変さを知ったというのも
もちろんありますが、それよりも、
むしろ、
息子が、可愛くて仕方がないからです。
息子と同じ、天使のような赤ちゃんたちが
今こうしている間にも犠牲になっていると思うと、
いたたまれなかった。
感情的?そうかもしれません。
でも、どうしても今、書きたい、書かなければという
衝動にかられました。
書くべきでなかったと
言われてしまえばそれまでですが、
それが私の正直な気持ちです。
批判や反対意見もありましたが、記事を読んで
「育児中の友達に久しぶりに電話をかけてみたら
連絡が嬉しかったという文章が二度入ったメールをもらった」
「子供の父親として、妻の気持ちになってもう
一度育児について考えようと思った」
「他人事ではなく自分も真剣に考えてみようと思った」などの
コメント、メールをたくさん頂いたのも事実です。
批判や反対意見の声も受け止めています。
理解したい、という気持ちから、
「みんな同じ」だというニュンアンスを
含めて書いてしまった一部の文章に関しては、
反省もしています。
でも、
実際の行動へとつながった声があったという点では、
自分では、意味のあることをしたと思っています。
一本の電話や、家族内での話し合い。
それらは、小さなステップですが、
意味のあることだと思うからです。
そして、
自分の想い/経験をさらけだすようにして、
書くのに勇気がいったであろう
コメントを書いて下さった方、
私が心を痛めているんじゃないかと
優しい声をかけて下さった方、
私の書いた文章が持つリスクを指摘して下さった方に、
お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
いろんな立場からの
ご意見、ご感想、胸に受け止めました。
私以外でも、たくさんの方が、
私の記事だけでなくコメントを読むことで、
よりいろんな立場から、この事件について
考えることができたんじゃないかと思います。
その上で、改めて、願わずにはいられません。
『ドアの向こうで泣いている子供たちを、
一人でも多く、私たちが、救うことができますように』。
一緒に泣いた友達のひとりが、
LiLyは向き合ってブログを書いて、
私はそのあいだに連絡先をまとめるから、
とブログを立ちあげてくれました。
リンク、コピペなどで、広めて頂ければ嬉しいです。
これじゃ足りない。
そう思います。
でも、まずは、
今、できるところから……。
『Open the Door』
↓↓↓↓↓↓↓↓
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●● 子育てに悩みを抱えているママへ ●●
子育てに限界を感じたり、精神的に余裕が無くなる人は、
決してあなただけではありません。
引け目など感じず、助けを求める勇気を持って。
・「オレンジリボン運動公式サイト」
http://www.orangeribbon.jp/window/win.html
・「全国 子育て・虐待防止ホットライン」
0570−011−077
(ナビダイアル・10〜17時 祝休)
●●虐待では?と思われる、
子供や家庭を知った方へ●●
あなたの一本の電話が、
扉の向こうで苦しむ
子供たちの心を、命を、救うことがあります。
・「全国 児童相談所 一覧」
http://www.mhlw.go.jp/support/jidousoudan/index.html
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv30/index.html
●●虐待を受けていると感じている子供たちへ●●
�.劵潺弔麓蕕襪茵� �¬樵阿聾世錣覆�てもいい。
��どんなことでも一緒に考えるよ。
�ぅぅ笋砲覆辰燭蘋擇辰討發いぁ�
4つの約束からなる、子供のための電話があります。
怖がらず、まずは話してみて。
<18歳までの子供がかける電話>
・「チャイルドライン」
http://www.childline.or.jp/
※
ここでは子供たちからの電話が増える中、
企業などからの寄付は減っていて
子供たちの命をつなぐための電話代が
不足しているそうです。
賛同された大人の方は、是非お力を。。
↓↓
http://www.childline.or.jp/supporter/news.html#000678
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